2017年5月23日火曜日

物好き


美しいものとは何か。依頼された原稿をもとに、物を感得する道を拓いてくださった恩師との日々を振り返る。9年前、松本民藝家具のデザイナー、故・荻原小太郎さん(当時92歳)の家を案内してくださったときの写真を懐かしく見直しました。


創始者・池田三四郎さんが蒐集した、英国やスペインなど西洋の家具を参考に、モダンな洋式家具をデザインされていた萩原さん。松本の自邸には、日本のものにとらわれない、けれど民藝的な美意識が通貫された物が集められていました。


プリミティブなものの美が引きだされている。対角線上に物を置き、両者をむすぶ中心点に主格の物を据える。柳宗悦が日本民藝館の展示を委ねた鈴木繁男さんの物を美しく見せる展示原則であり、恩師が学んだこと。


民藝人は物が好きで仕方がない人。半世紀ほど前は、そういう物好きで、美を感得する能力が極めて高い先輩方がたくさんおられた。今は、どうだろうか。





このときに見た、李朝の飴壺とやちむんの大きな蓋物。こんな写真を撮ったことも、物が置かれていたことも失念したけれど、無意識のうちに物の佇まいを目が覚えたのかもしれない。後日、いずれも手に入れることになる。蓋物は金城次郎さん作だろうか。つまみのやわらかな造形、文様の自由さは次郎さん以外には生み出せない。



静寂の安らぎ。鎮まる心。感得の到達点を観た想いがします。


チベットの仏具だろうか。









もてなしの器。無地で簡素なもので統一されていた。すべてに共感できるかは別にして、自分の「好き」は何か、明確に伝わってくる。


いちばん目と心を奪われたのは窓辺の吹きガラス群、その見せかた。光を透過すると、この工藝品はもっとも劇的な輝きで魅せる。それにしても、かたちと色の組み合わせの妙といったら! よく見ると展示ルールにのっとり、アクセントになる赤の射し色など、萩原さんの意識がちりばめられている。それが押しつけがましくなく、自然と目に心地よさをもたらすのだから、たまらない。こんなふうに物、色、かたちを選び、並べられる日が自分にも到来するのだろうか。遥かかなたの高みを今は見上げるだけ。


呆気にとられた庭の軽妙な敷石。京都の禅寺のものよりはるかに魅力的な配置と石選び。素朴にして温かみがある。うまく説明できないけれど、松本の民藝人流の洒落だと感じた。そして、このエクステリア術はすぐに真似しました。近所のビーチで打ち上がった1個100kg近い佐島石をいくつも運び、小さな前庭に埋めたのです。しかし、凡人の悲しさ。重労働に満ちたりて、単なる作業に終わる。萩原さんの洒脱さには当然ながら及ばない。丸石や小さな石を自由に取り入れ、もっと遊んでみようと写真アーカイブを見て思う。

90歳を過ぎても物が好きという情念を絶やさなかった。絶やさないでいられた。先達の嗜好と想いに、元気をもらえて、多くを学んだ。その機会を与えてくれた恩師に深謝。

LEICA M8 , ELMARIT28mm 4th edition f/2.8
Macro Elmar90mm f/4