2017年11月27日月曜日

夢のアトリエ


驚嘆の一冊に出合えた。「カワウソ」こと、写真家の萬田康文さんと大沼ショージさんのユニットが家で、アトリエで一年かけて酒の肴を撮影し、文章を添えて編んだ『酒肴ごよみ365日』(誠文堂新光社)。おおよそ料理写真は撮影手法のパターンを推察できる。どこにピントを合わせ、どう切り撮るか。特徴めいたものが表出している。しかし、この2人の酒肴写真は1点1点の表現が異なり、まるで法則が見えない。束縛から解放され、じつに自由奔放。旬の食材を用いて自分たちでつくった酒肴が間接光の灯りのなかで、とんでもなく旨そうに描かれている。自分のたまらなく好きなものに情愛がこめられている。どの写真も夢のように淡く美しい。ベッドで毎晩眺め、365様の絵画を観る思いで心酔する。こんな快楽の気配に満ちた、自在な写真を創造する人に会いたくてたまらなくなった。


出版直後というタイミングもあったのだろう。たまたま二人のアトリエ「凸凹舎」で萬田さんの写真展をひらいているというので訪ねた。隅田川の水辺に立つヴィンテージビルの一室。その建物の味わいも佳いが、扉を開けて息をのんだ。


大きな窓一面が川の情景で占められていた。目の前をひっきりなしに水上バスが行き交っていく。なんて劇的な空間なんだろう。憧れの人に初対面する緊張が霧散し、圧倒され、羨望し、心鎮まった。潮流、水上と水辺の人の営み、朝から深夜まで動きがある川を一日中眺めて暮らしたい。そんな夢が現実のものとしてそこに出現していたから。たとえば、雨の午後、この部屋でソファに身を沈め、ブランケットをまといながらビル・エヴァンスのピアノヴァラードなんかを聴いたら、たぶん泣いてしまうだろう。美しく静謐な空間。


応対してくださった萬田さんに衝動的に「写真撮っていいですか!?」と声をかけた。窓の眺望のほか、照明、キッチン、日用品、装飾品など目にする物どれもが枯淡の味があり、それらの佇まいに高揚。抽象絵画のような世界各地のシーンを独創的に額装した作品も素晴らしい。そして、萬田さんに怒涛の質問ぜめ。酒肴本の撮影・制作の裏話、展示作品のネガフィルムと使用カメラ、6×7中判写真の比率・・・。知りたいことを矢継ぎ早に尋ね、萬田さんはにこやかに誠実に答えてくれた。絵を描くための素材集めで写真を撮り始めたという。独特の絵画的な思考は僕の知る写真家にはない個性で、強く魅せられた。酒肴の特異な描写はその個性が成せるものなのだろうと想像した。


「このアトリエは気持ちよすぎて仕事ができません。もっぱらリラックスする場として活用してます」と語る萬田さんが羨ましすぎる。イタリアをよく旅している(萬田さんはHISやイタリアンレストランなどで配布中のフリーペーパー『イタリア好き』の創刊から取材に携わっている)というから、いずれ一緒に旅の案内本をつくる機会がやってくるかもしれない。今度はこの日不在だった大沼ショージさんの写真展を催す予定とか。また、再訪しよう。ときどきアトリエを開放し、二人がもてなすカフェやバーも体験してみたい。

LEICA M-E , SUMMILUX50mm ASPH. f/1.4