2015年9月20日日曜日

マクロエルマー的散歩


9年前、ライカ初のデジタル・レンジファインダーカメラM8を購入したとき、その勢いで「えいっ!」と銀座レモン社で衝動買いしてしまったマクロエルマー90mm。当時はレンズ単体で売られていて、ライカレンズにしては、手がなんとか届きやすい一本でした。静物の撮影に望遠系は必須と考え、仕事に多用しようと選んだ(個性派ぞろいのライカレンズにしては)地味目なレンズでしたが、その後の大活躍ぶりと現価格の高騰を考えると、幸運なタイミングでベストな買い物ができたなぁと自己満悦。
 

開放値がf4と明るくはないため、朝夕などやや暗めな室内での撮影には 三脚が必須ですが、レンズが沈胴し、携行時はコンパクトになる機動性の高さと、誇張なく、忠実に被写体の色を再現する特性が素晴らしい。アウトドアでは、遠景や近景の一部にレンズを向ければ、光と影、色彩を穏やかにとらえる描写に「ヒューッ!」と賞賛の口笛が吹き出る。現代のレンズだから、コントラストも色彩も基本的に高め。だけど、絵づくりは硬くなりずぎず、陰影のトーンにやわらかな余地を残している。その余地の奥行きに美意識の高い技術者の造詣と上品で知的なセンスをぼくはいつも感じて、敬服します。


葉山と築地の仕事場の行き来には、いつもライカM-Eを携えている。装着するのは、標準レンズが多いけれど、ときには気分を変えてマクロエルマーに付け替えます。すると、路上の視点と視野が変わり、ディテイルの観察、発見へと意識がスイッチされるのが楽しい。昭和2〜3年竣工と思われる東銀座の看板建築。旧称、木挽町の路地裏には1階が店舗や作業場の家屋が残存。マクロエルマーは緑青がふいた銅板の色気、立体的な造形とその影をリアルに、まわりの湿度をふくめてふんわりととらえます。



生活者の気配に、ぼくはたまらなく惹かれます。 看板建築の暮らしとは、いったいどんなふうなのだろう。木挽町の情感にふれ、その内部で感じ取る日を夢見たりします。



日本橋の書店に用事があったため、築地から歩いていく。となれば、「日本橋」を渡らないわけにはいきません。道の反対側からマクロエルマーでシンメトリーをスナップ。「東京旧市街を歩く」(森岡督行さん著)のなかでの、写真家の高橋マナミさんによる日本橋の写真に感化され、同じアングルで撮影。高橋さんは三脚でカメラを固定されたでしょうが、ぼくは手持ちでスローシャッターを切る。通行人や車のブレがいい。


快晴の昼下がりでしたが、橋上は上の首都高により日陰になるため、露出をf8以上に絞れば、容易にブレ写真を撮ることができます。歩道にガードレールがないのは、頭上を無粋に醜悪な構造物で覆ってしまったことへの罪悪感からの配慮なのかな。歴史的建造物がすんなりと構図におさまるのがありがたい。マクロエルマーの画像はモノクロ化しても、シャープさのあんばいがほどよく、シャドウ部もいかようにも微調整可能。その余地に、また痺れることになるのです。

LEICA M-E  ,   MACRO-ELMAR90mm
SIGMA  DP3 MERILL