沖縄本島・読谷村の北窯・松田共司さんを筆頭に、日々、我が家の食卓を朗らかに彩る沖縄のやちむん(焼き物)。色や模様ともダントツに佳いと思えるやちむんがある。金城次郎さんが那覇・壺屋での登り窯時代に制作した日常使いの雑器である。ほかの陶工が真似ようとしても自由でおおらかな模様を写すことは決してできない。唯一無二のやちむん。
自分はひとつも持っていないが、ときどき知人から見せてもらうたびに、やっぱり佳い。ほかのやちむんとは全然違うと思う。なぜ、あんなに伸び伸びと手が運ぶのか。
そして次郎さんの模様にどうして自分は強く惹かれるのか。その理由をじっくり考えてみたくて讃々舎を訪ねた。店主・高梨さんは「次郎もの」のコレクターではない。読谷村に窯を移して以降の有名な線刻魚文の作家風作品は、たぶんぼくと同じく興味がないだろう。「次」の銘がない、壺屋時代の雑器と推察されるものを少しだけ手元に置いている。銘はなくても、かたち、模様から次郎さんの手によるものとしか思えない気配があり、確信をもって選んでいる。確かな審美眼をもつ彼だからできることだ。
線刻魚文は惹かれないが、この魚は愛らしい。毎日そばで眺めたくなる。
「次郎もの」の全体を見渡すには『壺屋十年』(用美社)がベストだという。分厚く、たくさんを掲載している。それぞれに解説が無いのが佳い。直に観るための本。用美社の岡田さん、素晴らしい仕事を成したなぁと改めて感嘆。
観る前から識りすぎてはいけないと思いつつ、事前に次郎さんの実態を調べておこうと『金城次郎とヤチムン』(榕樹書林)を読了しておいた。壺屋での修行期にマカイ(碗)、湯呑など生活雑器を素早く均一にかたち作る鍛錬をして高い技術を培ったこと。釉薬も深く探究し、独自の配合を厳格に固守していたこと。実像を識って職人の骨格のうえに奔放さがあるとわかり驚いた。しかもあの軽やかさは作為ではなく、無意識によるものだというから生来の才覚なのか。李朝の器にも関心が強かったそうだから、影響を受けたのだろうか。
著者によれば、この小さなマカイは大きさも、白化粧土の掛けかたも例外的にラフだそう。次郎さんはみんな佳い加減なのかと思いこんでいた。まちまちのサイズ、白化粧の厚み、流れ具合。薪で焚いた荒々しい炎の痕跡もそれぞれ全く違う。直観で素早く選び、ひとつだけ分けてもらった。健やかな美に引き合わせてくれ、心眼鍛錬の機会を与えてくれた高梨さんにまた、深謝。
SIGMA DP3 MERRILL 75mm / f2.8