2017年3月17日金曜日

水運と運河と家


ぼくは隅田川河口、東京湾に浮かぶ佃島で育ちました。生まれたのは東京オリンピックの翌年。池波正太郎が情趣に惚れた「佃の渡し」も、地域住民が泳げた清らかな水も、水辺の開放感ある景観も、オリンピック連動の開発により姿を消した後でした。かつては海水が庭まで迫っていた実家周辺も埋め立てられ、目前の運河や川とは高いコンクリート壁で遮られてしまった。上の写真は朝潮運河へのゲート、佃島水門。この右手の壁の向こうに実家が立地。近くには、島崎藤村をはじめ作家、詩人が逗留して創作にいそしんだ割烹旅館があった。


地面からの視界は狭まったものの、朝潮運河に繋いだ舟の上にバラックを組み立てて生活する人たち、ポンポンと腹に響く重厚なエンジン音を響かせ、船で東京湾内での仕事に出かける労働者の姿を幼少時には家の2階から眺められた。川や海、運河と親密な住居や仕事に憧れ半世紀以上が経過。仕事で乗船することになった日本橋クルーズは、依然、空いたままだった実家近くの水面との距離を一気に縮めてくれた。朝潮運河を移動しながら、感慨に浸り、子供のころ、熱いまなざしを向けていた水上住居の痕跡を探していました。


これは浅草橋の屋形船。こうして運河に係留する舟で暮らせたら、どんなに楽しいだろうか。オランダやマンハッタンの人たちみたいに。


水上に立つ木造家屋。ぷかぷかと水に浮遊して生活し、お出かけはボートで。渋滞や信号のないルートを滑り、小さな運河から運河へ移動。江戸に似た水都ヴェネチアみたいなライフスタイルが未来の東京でも実現するのだろうか。


江戸情緒が残る八丁堀・亀島川の日本橋水門そばには、素っ気ないビルが立っている。こんなちょっと古い雑居棟の上階で、穏やかな水面と海の潮汐を感じながら暮らす。雑念が払われ、思索に沈降できる日常となりそう。松尾芭蕉の住居兼アトリエ、大川(隅田川)端の草庵みたいに。東京中央区か江東区の水辺に小さな住空間を据える。そんな妄想を抱きながら、海水、淡水が混じりあう水辺に惹かれ、見つめ続けています。

LEICA M-E , SUPER WIDE-HELIAR 15mm ASPH. II f/4.5
SUMMILUX50mm ASPH. f / 1.4