東北から沖縄、町や奥地の集落を旅し、美しい手仕事良品を見つけ集め、広めてきた久野恵一さん。その功績を讃え、想い、考え学ぶ機会となったのが手仕事フォーラム『全国フォーラムin岩手』。メイン会場、岩手県滝沢の岩井沢家からローカル電車で盛岡駅に戻る。
久野恵一さんが営む鎌倉「もやい工藝」では約10年間毎月、美しい物と作り手の話を伺った。本題の導入部で恵一さんは工房周辺の環境を語っていた。土地に流れる川、視界に入る山や物の素材となるもの、町の雰囲気。ときには地域の歴史に触れた。佳い物が生まれる背景にも眼を向ける。それは恩師であり、柳宗悦の弟子・鈴木繁男さんが共に旅した先々で繰り返し説いていたことと言っていた。
盛岡にはなぜ美しい工藝品が生まれ育まれているのか。美意識を極める「光原社」が市内の中心に存在する風土、文化は何か。恵一さんだったらこの町にどんな心象を抱くのか想像し、感じてみたいと思った。それで滞在2日目、帰路につく最終日、夕方の新幹線に乗るまで町を歩くことにした。とはいえ持ち時間は2時間弱。徒歩で往復1時間圏内で目指したのは古い町家が残る地域・鉈屋町だった。同じく歴史的な町並みが残る紺屋町界隈も回りたかったが、それは次回のお楽しみに。僕が盛岡中心部で受けた町への第一印象は湿度の少ない清涼感ある空気、透明な光。北上川の豊かな水量、水辺に繁茂する緑、川に架かる橋の開放的な景色。そして交差点の地下に巡らされた通路の多さだった。2日目の探訪ではそれらが心に残った理由をじっくり探るように歩いてみたいと考えた。
ゆったりとした心持ちで町を散策するのはいい。一方でタイムリミットのあるなか、焦燥感を携え、特定の地域に意識を集中して眼を凝らす。そんな歩き方も嫌いではない。僕はまず地下通路の謎を明かしたいと考えた。盛岡の地下通路に潜ると方向感覚を失い、想定と違う地上に出る。その原因を知りたいと思った。
地下通路は地中でX字型に通路が配されていた。向かいの歩道に移動するなら通路をまっすぐではなく「く」の字に曲がらないといけない。方向を誤る理由に合点がいった。こうして土地勘のない町のローカルな仕組みを知り、地域に馴染んでいく体験がとても愉快だ。
鉈屋町まではgoogle mapの計算では盛岡駅から徒歩30分ほど。自分の早足では20数分で到達できるとふんで歩き始めた。途中、いくつもの地下通路に潜り、北上川に架かる不来方橋、中津川に架かる御厩橋といった由緒ありげな橋を渡り、数日前の大雨で茶色く濁る水流を見下ろした。目指す地域は北上川の舟運が盛んだった時代から商人や職人が多く住んでいて、今も庶民の歴史文化が息づいているのだという。
町に入ると「盛岡町家」が並ぶ風景に見入り、統一された建築様式を観察した。
観光名所として保存された景観地区と違って、町が元気に息づいている印象を受けた。城下町のころの活況ある佇まいを町家群が留めているようだった。
使われていない商家もちらほら。
午後3時過ぎ。傾いた北の光が建物に立体的に照らしだす。晴れた午後に繊細な陰影を湛える町を歩けた。幸運なめぐり合わせを喜びたい。
名水の町には美味しい飲み物もある。町内にはウイスキーが自慢のバーが2軒、評判のコーヒー豆焙煎工房がある。注文を受けてから焙煎をする「fulalafu」では旅の記念に豆を200グラム購入した。ひとりで焙煎のかたわら接客もこなす店主が推す深煎り豆を光原社の『コーヒー豆入れ』に詰めてもらった。容器からこぼれんばかりの量をおまけしてくれた。盛岡市内には他にもコーヒーの名店があるようだ。一杯のコーヒーに妥協せず、探究する嗜好が町に根付いている。そんな人たちが盛岡の工藝文化を支えているのかもしれない。
LEICA M-E , SUMMILUX50mm ASPH. f/1.4